#158
( ´・֊・` )
体調がずっと微妙
自分の欲しいものをずっと考えてた
答えが出ない
私は何が欲しいんだろうか
手に入らないものを求めてる気がする
他力本願なのは間違いなくて、自分ひとりじゃどうにもならないと思ってる
この前お姉ちゃんと東京デートして、かなり満足した
満足したのは、相手がお姉ちゃんだったからなのか。
相手は関係なくて、いいところで美味しい物食べて行きたいところでやりたいことができたからなのか。
分からない、なんも
考えすぎてる
とにかく、
自分はいろいろと平均以下の人間だろうから、
もう、しょーもないマウントをとって生きるのはやめた
#157
( '-' )ノ)`-' )
読み返してて、誰に向けて書いてんだろ〜って思った。
いつから、誰かが読んでくれることを想定してる文章になったんだろ。最初からかな。
ここにたどり着けるものを切っちゃうことにした!
頭の整理場所だ〜ふふ〜寝よ
#156
♡(´˘`๑)
『隣人の愛を知れ』by尾形真理子
一昨日、この本読みました。おすすめです。
どういう人におすすめかって聞かれたらわかんないけど、おすすめです。表紙にある通り、まさに「“恋”のその先について」って感じ。
本を読むとき、読みながら感想とか思ったことをスマホにメモする癖があるんだけど、その中の『喧嘩したい。喧嘩するくらい心をあけっぴろげられる人が欲しい』を後で見てぐっときちゃった。(自分で書いたのに)
これはかなり本心かもしれない。思ったことを言いたいし、思ったことを言ったときに言い返されたい。喧嘩したい。(語弊)
以下カッコ書きはメモ。
『逃げないことは強さなんだろうか』
わからない。どうなんだろう。逃げないで向き合うことは強さなのか。逃げる勇気がないということにはならないか。
『見えないものは気にならない』
好きになった人の元カノに嫉妬する気持ちがわからない。だって知らない人だし。元カノと、今目の前にいる好きな人が過去どういう風に過ごしていたのかを想像できないから嫉妬もしない。「元カノに触れた手で、、、」とか全然思わない。だって私もそうだし。
でもこれは今繋がっていない場合であって今も繋がってたら正直嫌だけどね~縁切れって思っちゃう~
怖いのは過去なんかよりも、まだ始まっていない関係、これからの可能性がある関係、だよ。
『聞いてほしい話が、誰しもある』
誰しも、話したいことがある。それを共有したいと思う相手が私なのかどうかはわからない。でも、(「誰でもいい」にしろ「もみがいい」にしろ)聞いてほしいと相手が思ったタイミングで聞くことができるようになっておきたいと思う。「今は話すタイミングじゃないかな」と気を遣わせないように、傾聴の扉だけはいつでも開けておきたいなぁと思う。だから聞き上手になったのかもしれない。
ん~~、内容的にちょっと抵抗あるかも、という場合は途中でやめて、『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』を読むといいと思う。多分。あれは名作ですよマジで。なんで私ずっと読んでなかったのって感じ。
小説の話で思い出したけど、私のお母さんがこの前、所用である大学に行ってきた。
そこは私が受験生の時に第一志望にしていた大学で、まぁ全然実力が足りなくて余裕で落ちたんだけど、わりと悔しくてわあわあ泣いて、そこに入るために一年浪人しようか迷ったくらい。というか、3年生で編入試験受けようかって考えてたくらい本気で行きたかった大学だった。
お母さんは私のこの気持ちを知っているんだけど、
大学にね、創設者の像が立ってるのね。お母さん、その像の前に立った時、
「はたして、あの子が本当にこの大学に入ったとして、それはあの子にとって幸せだったんだろうか」ってふと思ったらしい。
今考えれば、私は私が進学した大学でよかったと思ってる。
そのすべては、勉強が大変じゃなかったから。
多分実力ギリギリの大学にすれすれで入ってたら、勉強追いつけなくて落ちこぼれてたと思う(下手したら留年とかして死んでたかも)
勉強に余裕があったから他のことにも挑戦できた。(今思えばもっとできた)
だから、これは言い聞かせるわけじゃなくて本気で、進学した大学でよかったと思ってる。
まぁまず、自分が選んできた道“以外の道”のその先は、分からないしね。一生経験できないから。
これが自分の実力だったと。これが自分の縁だと、そうやって満足して生きるしかない。実際満足してるし。後悔はないし。
人生の取り返しもケリも、つく・つかないじゃなくて、つけていくしかないんだね。本にも書いてあったけど。すべて人生の辻褄合わせ。
マツコ・デラックスも言ってた。
流れ着いた先で一生懸命やるの。そうすると知らない扉がどんどん開いて、また新しい世界に行けるって。
そんなもんだな。全部縁だよ。挑戦しつつ、満足しつつ。そうやってゆるく生きていきたい。
言ってることブレブレな気がするけど、これは私の心の中なのでしゃーなし。
私は、お母さんが「あの子は果たして幸せだったのか」って考えてくれたことが嬉しかった。
お母さんにはめちゃくちゃ大切にされて生きてきた自覚も実感もある。でも私が尊敬しすぎてるせいで少し遠い存在というか、手の届かない存在に感じていて。でもそのお母さんが「あの子は」って、私のことを考えてくれた。やっぱりお母さんなんだと、思った。
これはきっと私にしかわからない感覚。
#155
( "´༥`" )
自分のことが好きとか嫌いとか。
どっちなんだろうって考えたけど、どっちかって言うとわりと好きなんだと思う。
こんだけ散々堕ちてることを書いてても、これって要は「なんでこんな生きづらいんだろう意味が分からん」っていうのが元というか軸であって、自分のここが嫌いだ無理だっていうのは、、、ないと言えば噓になるけど、自分のそういう部分とは散々向き合ってきて、それが無くなるように努力してきたつもりではあるから。
私と同じ人生を死なずに・他人を傷つけずにやってこれる人は少ないと思うし、今可愛いかどうかは別にして可愛くなろうと努力はしてきたし、やりたいことにまっすぐになれて夢中になれる自分はかなり好きだし、やりたいことがちゃんとある自分も好きだし、なりたい自分を目指して頑張ってきた自信はある。だからこそ人生に、「この日に戻りたい」「あの頃に戻りたい」という後悔がない。(今この歳であの経験をしていたら、あの人と出会っていたら、もういない祖父母と話せていたら、と思うことは全然あるけど、それは後悔とは違う)
自分の好きなところをあげたらかなり長くなりそうなくらい、意外と好きなところはあるんだよな。
なんというか、嫌いな部分に目を向けすぎてるというか、自分のことを好きになりたいからこそ、改善できそうなところばかりに目がいくというか。
だいたい人生もそんなもんじゃん。いや、わかんないけど。
うまくいってる部分はあんまり注目しないんだ、私は。だって、一度うまくいったことはきっとこれから先もうまくいく。そんで、うまくいったなら、もっとうまくできるようになるはず。じゃあどこを変えればいいの?そんな感じ。
良く言えば上昇志向、悪く言えば上を見すぎ。
上を見すぎ、ってなるくらい、私の周りに優秀な「上」の人たちがいてくれることは、とても幸せなことではあるんだけどね。
近いところに「上」の人がいると、自分もその仲間なんじゃないかと勘違いしがち。その沼にハマって抜けなくなってた人生数年間。みたいな。
昔ほど完璧主義じゃなくなったのは、私が完璧だと思っていた人たちが、意外とそんなに完ぺきではないと気付いたから。
みんな意外とちゃんと人間だった。そこに安心したという感覚はないけど、こんな完璧な人たちが「完璧じゃなくてもいい」「うまく手を抜け」って言うなら、本当にそうなんだろうな、と信じられたのがつい最近。みたいな。
昔の私だったら「完璧じゃなくていいとか、気遣われてるじゃん、、、」とか言って頑張ったんだろうな。そりゃ生きづらいよな笑
私は、こうやって小さいことに悩んでいちいち考えこむ自分のことも、そんなに嫌いじゃないんだと思う。だからずっとやめていない。
考え続けてしんどくなることはあるし、人に毛嫌いされることもあるし、自分が嫌になることもあるけど、考えないよりはマシというか、考えてある程度答えが出るのであれば考えていたいし。物事を考えない人が嫌いっていうのが根本かもしれないけど。もしくは、どこぞで聞いた「現状維持は後退」っていう誰かの言葉が脳裏に焼き付いているとか。
考え続けて、今まで気づいていないフリをしていたことをハッキリ自覚して気付いてしまったけど、
私の「ずっと誰かの一番になりたいと思っている」の裏には、絶対的に「誰の一番にもなりたくない」っていう気持ちが張り付いてる。
ちょくちょくここにも書いてる通り、「初めから手元にないこと」と「元々手元にあったものを失う」ことは、『今、現状、手元にない』ことに変わりないけど、心情的にはまったく別のものだと思っていて。
うーん。たとえが難しい。
生まれつき目が見えない人の絶望度と、元々見えていたのに事故で視力を失ってしまった人の絶望度は、やっぱり違うと思うの。だって後者は「見える幸せ」を知っているから。
だからそもそも、手に入れるのが怖いんだろうなぁと思った。手に入れていつか失うくらいだったら、初めから手に入れないで、遠くから羨ましがってる方が楽だよねきっと。傷付かないし。
一番になるよりも、二番でいた方が、落ち着くのかな。全然そんなつもりなかったけど、冷静に考えたらそうなのかもしれない。そんでもって、一番になりたくない裏側で、私は多分誰のことも一番には愛してない。
それってやっぱりずるいし、ただひたすらに臆病一択だし、情けないとも思うのよ。
でもここは、私にとってはわりと大きな谷で、超えていくのはもうちょっと時間がかかるのかなぁ。とか。
お前また二番になりたがってんのかよしょーもねえな俺がとりあえず一番にしといてやるよって笑い飛ばしてくれる人がいたらなーーーーー🙏🙏(他力本願)
#154
( ˊ࿁ˋ ) ᐝ
久しぶりにネットで課金して漫画読んだ。あ~~時間を忘れちゃうね~~せっかく2連休だったのになんにもしなかったなぁ。
『それでも愛を誓いますか?』
これ、あとで調べて知ったんだけど、ドラマもあるんですね。
30代後半の年齢でもないし、結婚・出産にも焦ってないけど、要所要所で刺さるセリフがちょくちょくあって。
個人的には真山くんがひたすらに幸せになってほしいなって気持ち。
推しの真山くん。
同時に2人に好かれたとき、迷って、ずるいことをした。
二股かけて同時進行したわけじゃないけど、待っててくれそうな人を待たせた。
でも結局1人目には振られて、2人目とは付き合った末に別れた。
結局、どっちもうまくいかなかった。
いつからだったか、SNSのリア垢を見るのが嫌になったのは、結婚して子どもがいるのが普通みたいな空気に嫌気がさしたから。
子どもが生まれた人のSNSは、すべての内容が子どもになる。結婚した人のSNSは旦那の話ばかりになる。
引け目も負い目もないのに、どっちもしてない自分が欠陥品のような気がしてくる。
結婚したいと相手に思わせられない、一生一緒にいたいと思ってもらえない、愛される価値がないのかも。自分に刃を向ける癖が抜けなくて、そういう焦りの方が強かった。
人の心をひらくのは、多分人並み以上に得意だ。それはきっと、人並み以上にいろんな人の気持ちや状況に理解を示せるから。
心を病んだ人とのトラブルに巻き込まれた人、メンヘラの彼女と喧嘩した人、、最近いろんな相談に乗った。「こいつの考えてることがわからない」「こいつの行動原理がわからない」その度に、たぶんきっとこういうことだよと説明する。納得してもらえる。うまくいく。
彼らがうまくいけばそれでいい。
「なんでわかるの」と言われる。知らない。なんか、わかる。
でも、それは他人だから客観視できるだけで、自分がベクトルを向けた人の気持ちは読み取れない。どうしてもすべてをマイナスに繋げてしまって、冷静にはなれない。それじゃあ意味ないのに。
友達との飲みやグループLINEで、人とのずれを感じることが多かった。友達の愚痴の相手の気持ちや行動原理の推測がついてしまうせいで、友達の愚痴に100%で賛同することができない。なんて言おうか迷っているうちに話はどんどん進むから、発言なんかせずに黙っている。「いつも黙ってるやつ」だと思われる。別に何も考えてないわけじゃないのに。
口だけで愚痴に賛同しておけばいいのにね。
「こんなの初めて」とよく言われる。でも、それ止まり。
ここまでくると、みんなに気を遣われてるんじゃないかと思うレベル。
他人の『最初』になることに意味を見出せない。『最後』になれないと意味がない。
だって記憶は消えていくものだし。
消えないにしても、美化されて薄れていくものだし。
消えゆく記憶はもう過去だし。
「いちばんだった」という過去は、ただの過去で、それは「もういちばんではない」ことを指している。
ずっと前から、「誰かのいちばんになること」に固執してる。これはちゃんと自覚がある。
比べられて生きてきたわけじゃない。ただ、きっと生まれつき周りの雰囲気を察しやすい私が、勝手に自分を貶めてきた。
優秀な親とそうでない私。才能がある姉とそうでない私。人気のある友達とそうでない私。私の彼氏に愛されるあの人と私。
自分のできないものに目を向けすぎるのは悪い癖。
こうやって傷付いてきた経験が他人への不信感に変わって、好いてくれる人にも不信感ぶつけて嫌われて、「嫌われた」っていう気持ちと経験値だけが心に積もっていって、歳を重ねるごとに憶病になってなにもできなくなる。
以前、高校の後輩に聞かれた。「恋愛経験って、少ない方がいいと思いますか?」わからない。でも、傷付く経験なんて少ない方が圧倒的に良いに決まってる。
私も褒められたかった。愛されたかった。必要とされたかったし、いてもいいんだって思いたかった。誰でもいいんじゃなくて、私じゃなきゃダメなんだって思いたかった。
やっと抜けかけた呪縛に、最近また戻ろうとしている。よくないなぁ。なにがキッカケで戻ってきちゃったんだろう。
この人といる時の自分が好きだ、って思える人と出会って、その人に愛してもらえるようになりたい。
ほんと、これだよね。
またこんな暗い記事書いてたら人離れてくんだろうな笑
#153
( ᷇࿀ ᷆ )
TikTokのセーブ動画欄は私の「好き」は詰まっている場所。Twitterの下書きは私の「本音」が詰まっている場所。
この2つを時々見返すと、自分のことがよくわかる。過去の自分と、現在の自分と。未来の自分はさすがに分からんけど、過去と今を比べての変遷が分かる。
セーブ動画はだいたい見返しても「ああ、やっぱり好きだな」と思うものが多くて、お気に入りから外すものは少ない。でも下書きはだいたい「ああ、こんな気持ちになってたな、この頃は」と思って、消化して、削除することが多い。
下書きなんてだいたい負の感情だし、それをずっと留めておくのもなって思うもんね。スマホが物理的に重たくなりそう(笑)
セーブ動画観てると、昔ハマってた曲とか、TikTokで見つけたイイ感じの曲とか出てきて、
昨日も久しぶりに加藤ミリヤの『I miss you』を聴いた!
加藤ミリヤってわりと「泣かされる女」系の曲が多いと思ってるんだけど(クソ偏見)、これはそういう曲じゃなくて、好き。いや、泣かされてるやつも好きだけど。加藤ミリヤはなんか、ごくたまに聴きたくなる時期というか、そういう日がふとやってくるんだよね。
サビ~~すき~~
これTikTokで見つけた時は高速道路の映像と組み合わせてあって、それもいいなって思ったんだよね。
加藤ミリヤってわりとダンスミュージック的なリズム感あるから、夜の高速が似合う気がしてる。
この曲をDaishi DanceっていうDJ?がアレンジしてのがあるの、それも良き。
Daishi Dance - I miss you ( with Lyrics ) - YouTube
曲調的に「原曲とそんな変わらんのでは?」ってなりがちな気もするけど、まぁ、歌詞が英語ってだけでかなりオシャレでイイ(笑)
Daishi Danceさんを初めて知ったのはYoutubeで見つけたジブリのアレンジで、
天空の城ラピュタ: 君をのせて feat. 麻衣 - YouTube
これが初対面だった。(「初対面」って(笑))
EDM感が!すき!
流れで、「高速道路×Daishi Dance」も見つけて観てみたけど、うーーん、私はやっぱりジブリと加藤ミリヤの方が好きかも(笑)
高速道路のはね、松任谷由実の『埠頭を渡る風』っていう曲とコラボしてたのが一番好きだったんだけど、あれ多分もう消されちゃったんだよなぁ。探してももう見つからんの。どうにかして保存しとけばよかった、、、。
(さっきからダンスミュージックだのEDMだの言ってるけど全然音楽わかんない。聴いてて楽しけりゃいいよな)
Youtubeってこうやってどんどん気になるものに飛んでいけるからいいよね!
TikTokは自分の興味のある動画が流れてくるようにカスタマイズされていくし、良い世の中だなぁとおもう(?)
加藤ミリヤ 『LALALA feat. 若旦那 (湘南乃風)』 - YouTube
『LALALA feat.若旦那』
『眠れぬ夜のせいで』
『WHY』
加藤ミリヤ 『今夜はブギー・バック feat. 清水翔太&SHUN (short ver.)』 - YouTube
『今夜はブギーバック』(short ver.しかなかった)
ん~わりと加藤ミリヤ好きだなぁ。
#152
(´つ_⊂`)
Kinki Kidsが今年の7月にデビュー25周年を迎えたらしくて!Youtubeに過去の曲のMVがあがっているのです。
私はこのアルバム(すんげぇ昔のやつ)を幼少のみぎりに、家族旅行に行く車の中で聴きまくっていて、今でもその思い出がよみがえってくる。
その後もKinki Kidsはたくさん歌出してるしいつもオリコン1位だけど(たしか)、でもやっぱりこのアルバムに戻ってきちゃうんだよな~~思い出補正込みで。
『シンデレラ・クリスマス』のMVがとてもよくて、
KinKi Kids「シンデレラ・クリスマス」Music Video - YouTube
コメント欄に「全人類にみてほしい神MVがついに全世界に公開…」ってあるけど、マジでそう思う、、、。
シンプルにこの頃の2人のビジュが好きってのもあるし、お互い撮りあってるのが微笑ましいってのもあるけど、なにより、
MVの入りが夜の高速道路なんだけど、私にとってはこれが家族旅行のわくわく感の記憶と重なってしまって、とてもエモい。軽率に泣ける。冬の、スキーの、行きの車。車の中が寒くて、でも急に暖房強めに入れるとフロントガラスが曇っちゃうから、みんなでコート着たまま「寒いねぇ」って手をこすりながら出発する早朝3時半(もはや夜)。
高速道路の街灯のあかり。工場地帯独特の夜景。昇る太陽の赤さと朝の空気。パーキングで食べる朝食のパン。トンネルを抜けて見える雪。などなど。
きっと夜景とか夜のあかりのぼやけ方とかが好きなのは、ここからきてるんだと思うわ。
昨日も、仕事の帰りの電車でMV見つけて、んえええってなって、最寄り駅から家までの帰り道、縁石の上を歩きながら鼻歌歌ってた。27歳のすることじゃない。でもそんくらい、童心に帰るくらい、懐かしさがすんごかった。
歌詞もさぁぁ、いいんだよなぁ。
「黙りこくっておかしいね 逢えない日はあんなに話したいことがあるのに」とか
「12時までのドリーム」「普段着のままの君 愛してるよ」、、、
Kinki Kidsの曲の歌詞の良さは散々語ってきた気がするけど、これほんと25歳を過ぎてからわかるエモさがすごい。
自分がいろんな経験してきたせいだと思うけど、
『愛のかたまり』とか『Anniversary』とか『全部だきしめて』とか、マジで歌詞だけで泣ける、、、今思ったけどきんきって愛してるって結構頻繁に言うよね、、、ない?そんなことない?わからんけど、、、
きんきくらいの愛の重さ、全然うれしいけどな。
「自分にベクトルが向いてないってわかってからの冷め方がすごい人間なので」みたいなことを過去につぶやいたけど、これは経験則からのただの自己防衛。自分と付き合っているはずの人が他の誰かを好きだったときの、「好きだったのは私だけかぁ」感と、「追いかけてた私、馬鹿みたいだな」という虚無感がとても苦手というか、追いかけてた自分のダサさを受け入れられないというか。だから自分にベクトルが向いてないと感じたらすぐ身を引いてしまう。もしかして自己防衛という名の逃げ?まぁ、なんでもいいんだけど。
「この人はほんとうに私のことが好きなんだな」と実感するほどに好きでいてくれた人と付き合ってた頃、本当に好かれてることに気付いたのは、「この人、こんな風に笑うんだ」と感じたときだった。
友達だった頃には見たことがなく、彼が友達と話しているときにも見たことのない顔で私に向けて笑ったとき、なるほど、と思った。
でもこれは私も同じなのであって。
私という人間が10だとして、友達には6までしか見せないけど付き合う人には8まで見せる、みたいな。そういうことで。
見せる、というより、つい出てしまう、の方が正しいのか。
そういうことをぼーっと考えてた昨日の夜。