#155

( "´༥`" )

 

自分のことが好きとか嫌いとか。

どっちなんだろうって考えたけど、どっちかって言うとわりと好きなんだと思う。

 

こんだけ散々堕ちてることを書いてても、これって要は「なんでこんな生きづらいんだろう意味が分からん」っていうのが元というか軸であって、自分のここが嫌いだ無理だっていうのは、、、ないと言えば噓になるけど、自分のそういう部分とは散々向き合ってきて、それが無くなるように努力してきたつもりではあるから。

私と同じ人生を死なずに・他人を傷つけずにやってこれる人は少ないと思うし、今可愛いかどうかは別にして可愛くなろうと努力はしてきたし、やりたいことにまっすぐになれて夢中になれる自分はかなり好きだし、やりたいことがちゃんとある自分も好きだし、なりたい自分を目指して頑張ってきた自信はある。だからこそ人生に、「この日に戻りたい」「あの頃に戻りたい」という後悔がない。(今この歳であの経験をしていたら、あの人と出会っていたら、もういない祖父母と話せていたら、と思うことは全然あるけど、それは後悔とは違う)

自分の好きなところをあげたらかなり長くなりそうなくらい、意外と好きなところはあるんだよな。

 

なんというか、嫌いな部分に目を向けすぎてるというか、自分のことを好きになりたいからこそ、改善できそうなところばかりに目がいくというか。

 

だいたい人生もそんなもんじゃん。いや、わかんないけど。

うまくいってる部分はあんまり注目しないんだ、私は。だって、一度うまくいったことはきっとこれから先もうまくいく。そんで、うまくいったなら、もっとうまくできるようになるはず。じゃあどこを変えればいいの?そんな感じ。

良く言えば上昇志向、悪く言えば上を見すぎ。

上を見すぎ、ってなるくらい、私の周りに優秀な「上」の人たちがいてくれることは、とても幸せなことではあるんだけどね。

 

近いところに「上」の人がいると、自分もその仲間なんじゃないかと勘違いしがち。その沼にハマって抜けなくなってた人生数年間。みたいな。

 

昔ほど完璧主義じゃなくなったのは、私が完璧だと思っていた人たちが、意外とそんなに完ぺきではないと気付いたから。

みんな意外とちゃんと人間だった。そこに安心したという感覚はないけど、こんな完璧な人たちが「完璧じゃなくてもいい」「うまく手を抜け」って言うなら、本当にそうなんだろうな、と信じられたのがつい最近。みたいな。

昔の私だったら「完璧じゃなくていいとか、気遣われてるじゃん、、、」とか言って頑張ったんだろうな。そりゃ生きづらいよな笑

 

 

私は、こうやって小さいことに悩んでいちいち考えこむ自分のことも、そんなに嫌いじゃないんだと思う。だからずっとやめていない。

考え続けてしんどくなることはあるし、人に毛嫌いされることもあるし、自分が嫌になることもあるけど、考えないよりはマシというか、考えてある程度答えが出るのであれば考えていたいし。物事を考えない人が嫌いっていうのが根本かもしれないけど。もしくは、どこぞで聞いた「現状維持は後退」っていう誰かの言葉が脳裏に焼き付いているとか。

 

 

考え続けて、今まで気づいていないフリをしていたことをハッキリ自覚して気付いてしまったけど、

私の「ずっと誰かの一番になりたいと思っている」の裏には、絶対的に「誰の一番にもなりたくない」っていう気持ちが張り付いてる。

ちょくちょくここにも書いてる通り、「初めから手元にないこと」と「元々手元にあったものを失う」ことは、『今、現状、手元にない』ことに変わりないけど、心情的にはまったく別のものだと思っていて。

 

うーん。たとえが難しい。

生まれつき目が見えない人の絶望度と、元々見えていたのに事故で視力を失ってしまった人の絶望度は、やっぱり違うと思うの。だって後者は「見える幸せ」を知っているから。

 

だからそもそも、手に入れるのが怖いんだろうなぁと思った。手に入れていつか失うくらいだったら、初めから手に入れないで、遠くから羨ましがってる方が楽だよねきっと。傷付かないし。

一番になるよりも、二番でいた方が、落ち着くのかな。全然そんなつもりなかったけど、冷静に考えたらそうなのかもしれない。そんでもって、一番になりたくない裏側で、私は多分誰のことも一番には愛してない。

それってやっぱりずるいし、ただひたすらに臆病一択だし、情けないとも思うのよ。

でもここは、私にとってはわりと大きな谷で、超えていくのはもうちょっと時間がかかるのかなぁ。とか。

 

お前また二番になりたがってんのかよしょーもねえな俺がとりあえず一番にしといてやるよって笑い飛ばしてくれる人がいたらなーーーーー🙏🙏(他力本願)