#175

()

 

 

このブログで最初の記事を投稿してから、実に2年半。(2年半?合ってる?)
最近の「しんどいしんどい」を通してこのブログの存在意義を知った。


ココはまさに、私の「聞いて聞いて」の捌け口だったんだと思う。

 

このブログの更新が止まるのは、しぬほど忙しいとき(何かを考える隙間時間すらなく書くことがない)、もしくは好きな人と付き合ったとき(だいたい私の考えを聞いてほしい欲が満たせるようになる)なのは自分でも前から分かってた。
でも今回は違った。いろいろと。

 

 

まず、ココにいつまでも吐き出してたらよくないんじゃないかと思って、
ココの存在がなくなれば何かを深く考えることもなくなるんじゃないかと思って、意図的にブログ書くのをやめてみた。

 

 

ボロクソになった。
表現できないくらい、ひどい人間になってたと思う。

 

人の話は聞けない、自分の話を聞いてほしいけど話がまとまってない、相手が何考えてるのか分からないし求めてることも分からないし自分が何したいのかもわからない。からの八つ当たり、みたいな。

 

自分は考えを頭の中では冷静にまとめられない人間だということを知った。(いやずっと前から薄々感づいてたけど、ようやく身を以って実感した感じ)
結局なんでこんなダラダラと文章にするのかって、文字にすれば冷静になれるから。あとから読み返して、「ああこういうことか」と気付けるから。

お父さんと深夜に語り尽くすのもそうだけど、私の思考にはアウトプットが必要なのかもしれない。
勉強と同じ。得た知識を使って問題を頭の中で解いてるだけじゃわけわかんなくなる。でも実際手を動かすとすっきりまとまる。

 

アウトプットって大事なんだなぁ。

 

他人への感謝を忘れ、愚痴や文句しか出てこず、自分の思い通りにならないもどかしさに耐えられないという、マジおこちゃまみたいな人間になり下がってた。
自己嫌悪過ぎてウケた。

 


定期的に「こうしよう」とか「ちゃんとした人間でいるために」とか「自分を自分として保つためには」とかを考えてまとめて言葉にしていないと、頭の中の糸がぐるぐるに絡まって自暴自棄になる。
もうこれは、治せるものなのかどうかも分からないから、自分の特徴だと思って付き合っていくしかないね。

 


私が聞き上手でいられたのは、私の話を聞いてくれる誰かがいたから。
それに今まで気づいてなかった。
つまり私の話を熱心に聞いてくれてた人が、いたんだな。
申し訳ない気持ち。


そういうところにちゃんと気付いて、感謝を持って生きていこう。

 

 

 

というわけで、私は私を保つために、ココを復活させようと思う。
ペースは気にせず、話したいことがあった時にだけ、ココを頼って。

 

 

他人に期待しない生き方をしていこう。
「裏切られた」と思わないように。些細な事を含めすべてに感謝できるように。