#154
( ˊ࿁ˋ ) ᐝ
久しぶりにネットで課金して漫画読んだ。あ~~時間を忘れちゃうね~~せっかく2連休だったのになんにもしなかったなぁ。
『それでも愛を誓いますか?』
これ、あとで調べて知ったんだけど、ドラマもあるんですね。
30代後半の年齢でもないし、結婚・出産にも焦ってないけど、要所要所で刺さるセリフがちょくちょくあって。
個人的には真山くんがひたすらに幸せになってほしいなって気持ち。
推しの真山くん。
同時に2人に好かれたとき、迷って、ずるいことをした。
二股かけて同時進行したわけじゃないけど、待っててくれそうな人を待たせた。
でも結局1人目には振られて、2人目とは付き合った末に別れた。
結局、どっちもうまくいかなかった。
いつからだったか、SNSのリア垢を見るのが嫌になったのは、結婚して子どもがいるのが普通みたいな空気に嫌気がさしたから。
子どもが生まれた人のSNSは、すべての内容が子どもになる。結婚した人のSNSは旦那の話ばかりになる。
引け目も負い目もないのに、どっちもしてない自分が欠陥品のような気がしてくる。
結婚したいと相手に思わせられない、一生一緒にいたいと思ってもらえない、愛される価値がないのかも。自分に刃を向ける癖が抜けなくて、そういう焦りの方が強かった。
人の心をひらくのは、多分人並み以上に得意だ。それはきっと、人並み以上にいろんな人の気持ちや状況に理解を示せるから。
心を病んだ人とのトラブルに巻き込まれた人、メンヘラの彼女と喧嘩した人、、最近いろんな相談に乗った。「こいつの考えてることがわからない」「こいつの行動原理がわからない」その度に、たぶんきっとこういうことだよと説明する。納得してもらえる。うまくいく。
彼らがうまくいけばそれでいい。
「なんでわかるの」と言われる。知らない。なんか、わかる。
でも、それは他人だから客観視できるだけで、自分がベクトルを向けた人の気持ちは読み取れない。どうしてもすべてをマイナスに繋げてしまって、冷静にはなれない。それじゃあ意味ないのに。
友達との飲みやグループLINEで、人とのずれを感じることが多かった。友達の愚痴の相手の気持ちや行動原理の推測がついてしまうせいで、友達の愚痴に100%で賛同することができない。なんて言おうか迷っているうちに話はどんどん進むから、発言なんかせずに黙っている。「いつも黙ってるやつ」だと思われる。別に何も考えてないわけじゃないのに。
口だけで愚痴に賛同しておけばいいのにね。
「こんなの初めて」とよく言われる。でも、それ止まり。
ここまでくると、みんなに気を遣われてるんじゃないかと思うレベル。
他人の『最初』になることに意味を見出せない。『最後』になれないと意味がない。
だって記憶は消えていくものだし。
消えないにしても、美化されて薄れていくものだし。
消えゆく記憶はもう過去だし。
「いちばんだった」という過去は、ただの過去で、それは「もういちばんではない」ことを指している。
ずっと前から、「誰かのいちばんになること」に固執してる。これはちゃんと自覚がある。
比べられて生きてきたわけじゃない。ただ、きっと生まれつき周りの雰囲気を察しやすい私が、勝手に自分を貶めてきた。
優秀な親とそうでない私。才能がある姉とそうでない私。人気のある友達とそうでない私。私の彼氏に愛されるあの人と私。
自分のできないものに目を向けすぎるのは悪い癖。
こうやって傷付いてきた経験が他人への不信感に変わって、好いてくれる人にも不信感ぶつけて嫌われて、「嫌われた」っていう気持ちと経験値だけが心に積もっていって、歳を重ねるごとに憶病になってなにもできなくなる。
以前、高校の後輩に聞かれた。「恋愛経験って、少ない方がいいと思いますか?」わからない。でも、傷付く経験なんて少ない方が圧倒的に良いに決まってる。
私も褒められたかった。愛されたかった。必要とされたかったし、いてもいいんだって思いたかった。誰でもいいんじゃなくて、私じゃなきゃダメなんだって思いたかった。
やっと抜けかけた呪縛に、最近また戻ろうとしている。よくないなぁ。なにがキッカケで戻ってきちゃったんだろう。
この人といる時の自分が好きだ、って思える人と出会って、その人に愛してもらえるようになりたい。
ほんと、これだよね。
またこんな暗い記事書いてたら人離れてくんだろうな笑