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( ੭ ・ᴗ・ )੭

 

 

もみですもみもみ。

森鴎外舞姫』の冒頭、「石炭をば早や積み果てつ。」の「ば早や」ってなんですか、という質問、Yahoo知恵袋の「シーフードドリアの"ドドリア"ってなんですか」という質問と同じものを感じて、好き。同じものっていうか、同じwww

 

 

 

今日ぼーっと考えていたこと。貫き通せない嘘なら最初から吐くな😡

(別のなんもないし怒ってもないし病んでもない。最近めちゃんこ元気)

 

 

大人になるにつれて嘘を吐くのがうまくなり、さらに大人になるにつれて嘘を吐けなくなってきている。これはおもしろい(´~`)

 

純粋だったこどもの頃は、嘘というものを知らなかった。実際に起こったことと異なることを言うときには、心臓がどきどきした。

怒られるのが怖くてお母さんに初めて嘘を吐いたとき、ものすごく顔が強張っていて声が震えていた(であろう)ことをなんとなく今でも覚えている。多分バレてた。だから何回も「それは本当なのね?」と聞かれた。ほんとは、お母さんごめん今のは嘘、って言ってしまいたかった。し、言えばよかったと思う。

 

※余談だけど私の両親の「育て方がうまいな」と感じるのは、こういうところ。↑ここでお母さんは「嘘ついてるでしょ。本当のことを言いなさい」とキレることはしなかった。私が「実は嘘です。ごめんなさい」と言えるのを待ってたんだと思う(結局言えなかったけど)。こどもが自ら何かを感じ、自発的に行動したり発信できるようになるのを待つっていうのは、単純に見えてかなり根気がいることだよね。ただまぁ、手遅れにならない程度の件に限る。

 

それからちょっとだけ成長して嘘を吐くこと覚え、それをやるようになっていった。周りのためなら嘘吐いてもいいと思ってたし、自分のために嘘を吐いたりもした。いや、ちょっと盛った。たぶん自分のための嘘の方が圧倒的に多かった。

 

もう少し成長して、嘘を吐かれると人は大きく傷付くということを思い知った。人を傷付けるのが怖くなって、嘘なんか吐けなくなった。嘘吐くと胸やけがする。もう嘘なんか吐くのはやめようと思った。

 

それからしばらくして、嘘を吐くのと、隠しごとをするのと、あえて言わないことの使い分けを覚えた。

 

 

個人的にずーーーっと、優しい嘘なんかないと思ってる。あ、んー。思って「た」。

付き合ってた人に「お前に悪いところはない、でも友達でいた頃の方が楽しかった」と言って振られたとき、めちゃめちゃに傷付いた。

何も改善点がない、いわば最強の状態の私でも愛してもらえないってことか、と思ってた。

でも本当はなんとなく振られた理由は分かっていて、周りの友達と答え合わせしたら合ってた。

 

そのとき言ってくれれば。言ってくれれば直せるのに。君ともう一度やり直すことはなくても、今後出会う人たちとうまくやっていけるようになるのに。

「あいつ〇〇なところあって無理だったんだよなぁ~」なんて友達に言わずに君の中にとどめておけば、私が友達と答え合わせしてもバレなかったのに。

私にバレるようなことするなよ。頑張れよ。的な。(たぶん私のわがまま)

 

「振るときに理由を言わなかったのはあいつなりの優しさだよ」っていくらなだめられても、それは彼の考える勝手な優しさであって、それが私にとっても同じ『優しさ』になるとは限らなくない?とかなんとか。

 

(´-`).。oO

人によって『優しさ』と感じられる基準は異なると思う。

でもこれは別れたばっかりの時の話で、今では優しさだったかなとは思える。成長。きっと、傷付いてたのは私だけじゃない。

 

とはいえ、バレて誰かが傷付くような嘘はよくない。

でもでも、嘘はいつかバレるものだから、やっぱり嘘なんか吐かない方がいい。

1つの嘘を隠し通すためにはいつも7つの嘘を必要とするらしい。2つの嘘なら14こ。そんなんしんどいよね。やらん方がいい。

 

 

別に、優しい嘘が存在しないとは思わない。私も1個だけ思い出せるものがあるから。

私だけが分かってればいい話~。

 

貫き通せない嘘は吐かない。

バレて誰かが傷付くような嘘は吐かない。

大人になるって、なんだろうか。

 

 

 

 

嘘とはまたちょっと違う話になるけど、『墓場まで持っていく秘密』って、誰にでもあると思ってる。

お母さんにも、お姉ちゃんにもある。そういう話をしたことがないだけで、きっとお父さんにもある。

そしてもちろん私にもある。

言ってしまったら誰かが傷付くもの、恥ずかしくて言えないもの、もろもろ。

 

なにかを秘密にしておくというのは、自分にとって結構負担だと思う。

言っちゃったほうが楽だな~と思ったり、誰かに言うことはできないからいっそなかったことにしちゃいたいな~と思ったり。

前者の場合だとして誰かに言ってしまった場合、言われた側の人はどういう感じになるんだろうか。

(むかーーし誰かに言われたか、何かで見た)『悩みを話すというのは、その人に荷物を半分持ってもらうようなもの』。

誰かに悩みを話すのが億劫になったのは、それを聞いた頃からかなぁ。

でもね、これって多分『という気持ちで心して話せ。自分の抱えるものをなんでもかんでも安易に人にぶつけていいわけではない』と続くんだと思う。心持ちの話。それが分かるようになったのも大人になってから。

 

後者の場合は、、、よくわからん。きっと抱えていくことが贖罪なんだろうね。日本語合ってる?笑

 

ちょっと話ズレるけど、泉鏡花の『外科室』という本があって。(泉鏡花といえば『高野聖』だと思うけど、実は読んだことがない。あれって面白いですか?(*」´□`)」読んだことあるひとーーー)

そこに出てくる貴船伯爵夫人という人が「(私にはね、)心に一つ秘密がある」。

これは誰にも知られたくない秘密なんだけど、手術の麻酔をかけてうとうとしてしまったらその秘密をぽろっと話してしまうかもしれない、だから麻酔なんかかけないでそのままメスを入れてくれ、というやつ。こっっっっわっていうか痛い。聞いてるだけで痛いわ。🔪

とても分かりやすいあらすじ載ってるサイトがあったので、興味ある方はぜひ。

https://amaru.me/story/gekashitsu/

 

さらに興味があって古い文章に抵抗がない方は原文もぜひ。あおぞら文庫にあります。(たしか)

私この辺の時代の文学ではこれが一番好き。

これを鮮烈ととらえるか、ホラーととらえるかはそれぞれの感性次第。純愛なのか狂愛なのかも人それぞれ。あっ、ちょっとネタバレしちゃった?

 

私もそうだけど、SNSが普及してから、人は「心に秘めておく」力が弱くなったと思う。

Twitterで病み垢作るなんてその最たるもの。(私じゃん)

昔よりも確実に病みやすい時代になってしまったとは思うものの、吐き出さずにはいられないという、それがなんとも現代人チックだよね。

ただ、Twitterの140字で何かを語るというのは、新しい文学だと思う。

 

 

嘘に関する歌で私が一番好きなもの。


https://youtu.be/KXNqTqc45iE

最後の嘘 / 松任谷由実

 

失くした言葉はかけないで

弱気なあなたにならないで

同じ気持ちじゃないのを知っていても

となりで眠っていた私のため

 

 

んんんんぐっとくる。

 

 

 

私がこの前ハマってるって言った「note」というアプリで、面白い記事を見つけた。

『エッセイは3割増し?』というもの。エッセイって、上手い人が書くと本当におもしろいんだよね。すいすい読めてしまう。でもそれって本当に「本当のこと」が書いてあるの?お笑いとかもそうだけど、ちょっと盛った方がおもしろくなる。そういうことなんじゃないの?

 

ふむ。

 

たぶん私のこのブログもエッセイに近い。思ったことや感じたことをつらつら書く。散文。

私の場合に限って言うと、内容や感情を盛ってはいない。嘘も書いてない。ただ、文章を綺麗にまとめるために「あえて書いていない事実」は正直たくさんあったりする。だから、無駄にきれいな話に見えるということは往々にしてあると思う。("往々にして"ってネガティブな文章のときに使うらしい。まぁいいか。)

 

エッセイで盛るのは、私はありだと思うけどね。“日記”は事実を書くものだから盛っちゃだめだけど、エッセイとなると、ある程度「人に見せる作品」になると思うんだよね。世に出すものって盛ってもいいと思う。

 

 

ところでこの記事、毎回だいたい2000~3000字超あるんだけど、みんなめっちゃ読んでくれるよね、、、すごくない、、、?私3000字も文字読めないめう~ʚ🥺ɞ

 

いつもありがとう

今日はすーーごくかっこつけた記事でした(* ∂ω∂*`)