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( ੭ ・ᴗ・ )੭

 

 

もみですもみもみ。

普段はエモしかない人間だけど、仕事中は全くそんなことないので、今日納期確認の電話のとき「7/7(水)ですか?七夕ですね😊」と言われて「だからぁ?💢」と思ってしまった。

今年は晴れるんかなぁ。1年に1回しか会えない好きぴねぇ、、、。

わりと恋人とは会わなくても我慢できちゃうタイプだから「会えないと死ぬ!」的発想があんまりわからん、、、。

毎日連絡しようね、も、毎週デートしようね、も、、、うーん、、、。いや連絡とりたくないとか会いたくないとかではない。決して。連絡取りたいし、会いたい。

なんかいつも話したいことがあって結果的に毎日連絡取っちゃってる~!おはようからおやすみまで花王卍とか、

2人で行きたいところがたくさんあって毎週会わないと消化できない~!とか、そういうのは大いにウェルカム。ただそれが「義務」になった瞬間に急に無理になる。

理由なくして会えないのは嫌だけども、仕事が忙しいとか遠距離だとか、会えない「しょうがない」理由はたくさんあるじゃん。

それぞれ自由な時間を過ごして、会った時に「こんなことしてたんだよ~」て話せるのもおつだと思うし、久しぶりに会う方が甘えやすい(気がする。気がするだけ)。というか、恋人に限らず友達もだけど、ちゃんと一人の時間を楽しめる人が好きだなぁ、という(✌︎˙˘˙✌︎)

 

 

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昨日は法事に行ってきた。

おばあちゃんが亡くなって、もう18年経つ。早い。

小学生だった自分は、人が死ぬってよくわかってなかったと思う。なんなら今でもよくわかってないと思う。おばあちゃんの顔も言ってたこともちゃんと全部思い出せるし、「長い間会ってないだけ」という感覚。いまだに実感がない(やばい)。

でも、お葬式では泣いた。なんで泣いたんだろ~。もう会えないからなのか、周りや、いつもは絶対に泣かないお母さんが泣いてて漠然と「悲しいことなんだな」と思って泣けてきたのか🤔。

ただ、去年おじいちゃんが亡くなった時は、「もっと会いに来ればよかったし、もっと顔見せればよかったし、話ももっとしたかった」などという明確な後悔があってぼろぼろに泣いた。

そういう「もう回収できない後悔」を残すのはとても苦いなぁと思ったので、やっぱり好きな人たちや大切に思える人たちにはどんどん会いに行った方がいいのかもしれない。

それでもやっぱり「毎週デート」の「義務」は無理。笑

 

昨日のお坊さんの説教で、「供給資養」という言葉を知った。

いやこれについて別にコメントがあるわけじゃないんだけど、これ、お坊さんが「供給資養」て書いた紙をこっちに向けて「こういう言葉があります」って話し始めたんよね。

でも視力0.3の私、眼鏡忘れたからなんて書いてあるのかわかんなくてwww「くきゅうしよう」という音は聞こえたけど、紙見えなくて漢字わかんないからwwwどういう言葉について語ってるんだろうって思いながらwwwずっと聞いてたwww(漢字はあとでお姉ちゃんに聞いた)

お坊さんくらい執着を捨てて生きられたらなぁと思うよね。うんうん。

 

小学校から高校までキリスト教系の学校いたから定期的にミサがあって定期的に神父様のありがたいお話を聞く機会があったんよね(ありがたいって付けるとものすごい煽ってる感あるな笑)

それも当時は正直ねっっっっっむって思ってたけど、今聞いたらためになる話沢山あったんだろうな。(´ω` )

別に信者なわけではないけど、たぶんまぁ根底にはキリスト教的な思考思想が埋まってるし、神頼みは仏様よりも神様にするし、聖書はめっちゃ面白いしギャグセン的な意味で(あっ多方面から怒られそう)。

ちなみにカトリックでは神父様、プロテスタントでは牧師さん、カトリックの教会は装飾が多くて派手めでプロテスタントは簡素という違いがあったりする。(それっぽい知識を置いておく)

 

宗教てとても繊細な話題なのであんまり触れたくないけど、むかしイスラム教の人に好かれたとき、「マジで君のこと大好きだから結婚したいと思ってる、てかもはや君は僕と結婚する運命にある、だから今日から豚肉食べるのやめて」とものすごい真剣に言われて、豚肉はこれからも食べたいなぁ、、、と思った🐷

「豚肉だけだよ、豚肉を今後口にしないだけ」「一日に数回神様にお祈りするだけ」と言われて、君にとっては「だけ」でも、私にとっては大きなことなんだよなぁ、、、とか。

頭では理解できてもやっぱりやっぱりどうしても心が理解を示さない事項ってある。

どちらが悪いわけでも間違ってるわけでもない、ただ、これが本当の「価値観の違い」だなと思った。日本人同士だとしても人間である限り絶対価値観に違いはあるしそれを否定したくもないけど、それが「許容できる範囲かどうか」は人間関係を構築するうえでかなり重要だよね。

 

 

生徒や保護者と話してても、「大学に行く理由や意味」で自分と違いを感じることは多々ある。

シンプルに学歴だけが欲しいパターン、周りが進学するから自分も受験するというパターン、やりたいことがあるパターン、やりたいことはないけど最高学府で学びたいというパターン、やりたいこと探しに進学するパターン、、、。

どれも間違ってないし応援したいと思う。

ただ個人的には「なんとなく大学行って遊んで過ごす」くらいならお金無駄だし働いた方がいいんじゃない?と思ったりもする。

 

あとは~、「大学行く意味」について、親子間で認識の齟齬があると、間に挟まる私たちは結構大変。笑

この前も、「私は〇〇に興味があるからそっちの道に進みたい」子が、「そんな勉強は将来役に立たないからやめておきなさい」という保護者と対立して、やりたいこと諦めようと思ってる云云かんぬんでとっても( ˊᵕˋ ;)💦になった、、、。

(私がそういう家庭で育ったっていうのが大きいけど)やりたい事なら、進学する前から諦めることないのになぁ~と思う。

あとその子の人生はその子のものであって、親が決めることではないなぁとも思う。

確かに就職に強い学部とそうでもない学部はあるかもしれないけど、「無駄な学部・学問」はないと思うんだよね。(あったら既に淘汰されてるはず)

数学科とかよくそう言われるけど、数学を学ぶことにもちゃんと意味はあって、、、とか、君の興味のある分野なら例えばこういう職業もあるよ、、、などという話をしていたら、その子の目がだんだんキラキラ(´✪ω✪`)してきて、最終的に「頑張ります!」ってなった。

これだから教育はやめられねえ、、、。笑

頑張ろうとしている人を応援するのが楽しいし、知らないことを知った時の目の輝きとか反応とか、そういうのが逆に私たちのモチベーションになったりもする。

楽しいんよな。大学生の時まっっっっったく教育に興味なくて教免すら取らなかった私がこんなになるとは笑

大学生の時の私もなかなかに視野狭かったんだと思う。なりたい職業のことしか考えてなくて、それ以外の道はなし!くらいの勢いだったもんなぁ。

もうすがすがしいくらいに自己正当化すると、数年前に公務員試験落ちてよかったのかもしれん笑

受かってたら教育なんてかかわってないもんなぁ。

(なりたいものになっているパターンの人生も気になるからパラレルワールドを用意したい)

 

 

自分に向いてるかどうかなんてやってみないと分かんないから、とにかく大学は好きなこと、興味あること、やりたいことをやりに行くのがいいと思うよ。好きこそものの上手なれっていうしね。知らんけど。笑

 

 

 

てか!七夕って星祭りっていうんだね!かわよぉ。☆

苗字が「星」とか「星野」の人と結婚したいって思ってた時期があったなぁ笑