#101
( ੭ ・ᴗ・ )੭
もみですもみもみ。
このご時世たぶん反感をかう発言だけど、昨日は日帰りで出かけようと思ってた。けど、体調悪くなって行けなかった。
んんーーーー。私の旅好き度を知ってる人なら、私の今の気持ちわかってくれると思う笑
1か月前に飛行機とってこの日に合わせて髪も染めて、前日に荷物用意して着る服も畳んでおいてネイルもして寝たのになぁ~…まぁしょうがない。そういうこともあるよね。うんうん。
旅先は逃げないのでまた行きます。
ということで、今日は、部屋の片付けでもしようと思って、たんだけど、全然進まんかった。部屋の乱れは心の乱れ。たぶん心が乱れています。乱れているというか、なんだろうな。考え事してるんだろうな無意識に。なに考えてるんだろう…。
もやもやする。
ミッキーが実はほんとの生き物じゃなくて着ぐるみで、中には人間が入っていてそれがミッキーとして動いているっていうのは、大人ならもう誰しもが知っている事実だけど、わざわざそれを言う人はいない。
「当然だから」っていうのもあるし、「ディズニーのブランドのため」もあるし、「夢を壊さないため」もある。
それと同じでしょ、ってことが最近多くて。
わざわざ言わなくていいことは言わなくていいし、知らないで幸せでいられるなら知らないままでいたい。自分からそれを探りに行ってしまったなら自己責任だけど、向こうから情報が投げつけられてきて避けられなかった時には、んーなんだかなぁ、と思ってしまうよねぇ。
こどもに「ミッキーって人間なの?」て聞かれた時に「そうだよ」って答えるんですか?もはや聞かれる前に「ほんとはミッキーの中には人が入ってるんだよ」って教えるんですか?
いずれ知ることになる情報でも、するっと知ってしまうタイミングが来るまで、知りたくなくない?
とか。
別になにがあったわけじゃないけど、自分がそれにならないように、何かを発信するときには気を付けたいなぁ~っておもうのです。だからワードチョイスはとてもこだわる。
最近、考え方がしっかりしてるねと言ってもらえることが多くて、それはめちゃめちゃ嬉しいと思える。ただ、ここに至るまでの道のりは多分人よりも汚いものだったと思う。
圧倒的に尊敬する人(たち)がいて、それに近付きたいと思ってわりと頑張って生きてきた。何かの判断をものすごーく迷ったときには「その人達だったらどう考えるか」を考えたり、直接相談したり、それでも失敗したり傷付いて死んだり人に迷惑かけたり、そういうのを積み重ねて何年もかけてやっとここまで来た(それでも全然追いつけない~~神かな~~)。
ただ、やっぱりそれだけじゃなくて逆に、いろんな人を見ながら「こうはなりたくないな」って避けたり切ってきた人もたくさんいた。よく言えば『人の振り見て我が振り直せ』だとか『反面教師』なんだろうけど。
高校生くらいのときからお母さんに言われてた「そういう人はそういう人なんだなと思って諦めて関係絶ちなさい」ていう言葉が、その当時は全然分かんなかった。だって諦めるって失望するってことじゃん!?!?!?私はそんな簡単に人を捨てたくない!!!!!と思ってた。
でも歳を重ねるとだんだんお母さんの言葉も分かってくるようになって、まぁシンプルに、自分を不快にしてくる人は私の人生に必要ないから“自分のために”どんどん切っていくべきだなぁという感じ。それがどんなに、大事な人だったとしてもね。
大事な人、好きな人っていうのはきっと、「大事にしたい人」「好きでいたい人」であって、ある意味執着なんだと思う。私を傷付ける時点で大事にする必要も好きでいる必要もない。でもそれって自分ではなかなか気付けない。他人が気付かせてくれたり、時間が気付かせてくれたり。
多少は執着してもいいと思ってる。ずーーっと追いかけてると、ふと「もういいか」と思える日が来る。なんか、相手のことを「想いきった(やりきったの“きった”)」って感じ。その時までは大事にしまくって好きでいまくればいいよね(◍︎´꒳`◍︎)
んー。お腹すいた笑
でもこの時間から何か食べるのさすがにやばいから寝よう。