#119
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もみですもみもみ。
お風呂に入ろうと思って、シャンプーを詰め替えるところまでいって、書きたいことがぐわっと襲ってきていまキーボードをカタカタしてる。
でも書きたかったことってなんだったっけ。忘れた。
本を読んでると、ものすごく筆者の生い立ちとか生活環境、育ってきた環境が文面に出てくるなと思うことがある。私のブログみたいなこういう散文だとなおさらそうだと思う。私のブログも、私の育ってきた環境がモロにでる。
たぶん私がここでつらつら書いてる悩みとかそういうものって、他人からしたら小さいというか、「そんなことで?」というものがほとんどだろうな。
私は自分が育ってきた環境が、平均か、それよりも恵まれたものだっていうのを分かってる。
親は2人ともいるし、お金に困ったことはない(もし両親的には困っていたとしても、「うちはお金に困っている」というのを子どもに悟らせない賢い両親だったっていうところは恵まれてるとしか言えない)し、何かを強制されたこともなく、やりたいことは全部やらせてもらって、大学までいった。
周りの人間にも恵まれた。
生きてくうえでこれ以上ない環境だったと思う。
それでも悩みはあるし、自分の悩みがちっぽけとは思わない。だって死にたくなったことも何度もあるし。
育ってきた環境で、その人が耐えられるキャパが決まって、そのキャパを超えるならもうそれはその人にとって悩みなんだよね。
それが分かる人間になりたいと思ったのは、この仕事を始めて、医者のこどもとよく接するようになってから。
彼等にはお金がある。正確に言うと、彼らの親がお金持ち。だからいくらでもお金は出てくる。ただ、そこに頭が追い付かない。だから医学部に受からない。
そもそもの大前提として、
①受験ができる(大学進学の選択肢を持てる)幸せ
②受験のために、義務教育でもない予備校に通う余裕があるという幸せ
③予備校でお金を気にせず授業をとりまくれるという幸せ
④浪人の年数を気にせず受験勉強を続けられる幸せ
これが分かっている子はどれくらいいるだろうか。
たいていの場合は親がお金を出すから、家庭環境というのはかなり大事になってきてしまう。
お金はないけど大学に行ってどうしても学びたいことがある、と言って親を説得し、「一年だけ(あるいは浪人は許さず現役で合格)」「学費が安い国公立」という条件で受験勉強をしている子は、普段からやる気がものすごい。ごはんの時間も、休憩の時間も、電車の移動時間も無駄にしない。周りの大人をうまく頼って使い倒す。それは「やるしかないから」。
それに比べて…と言ってはいけないけど、「何浪でも許される」「私立でもいい」子は、危機感が薄い。いつ面談しても、「成績があがらなくてやばい~」「あれもやってない・これもやってない」「体調が悪くてずっと授業も休んでる」と言い訳をする。
「まだ時間もお金もあって、後がある」と思っているから。
私立医学部の学費は高い。一番安い大学でも、6年間で1000万をくだらない。一番高いところなんて6年間で4500万もかかる。予備校に一年通えば100万近くはかかる。その学費を出してくれる親を持てたことのありがたみを分かっている子は、どれくらいいるだろうか。
国公立の医学部を目指す子は、まず共通テストで5教科7科目を受験して、最低でも80%をとらないといけない。そこが足切りと言っても過言じゃない。地方が嫌で首都圏がいいなら80%じゃ足りない。そこから2次の学科試験を受けて、面接を受けて、受かった人が進学できる。
枠は狭い。
3科目しかやらなくていい私立志望の子が音を上げているのを見ると、
今年は間に合わないから来年に賭けるとか言っているのを見ると、
「自分の恵まれた環境に気付け」とどうしても思ってしまう。
でもそれも彼らに悪気はないし、たまたまそういう環境に生まれただけで、それが彼らにとっては“普通”で、だからなんというか、こっちが何を言える立場でもない。
毎年もやもやしてしまう。彼らなりの、「お金に頭が追い付かない」悩みを分かってあげなきゃと思う。
自分が経験したこと以外は想像でしか対応できない。
いろんな人の苦しさを分かってあげられるようになるために、いろんな経験を積もうと思っていろんなことをして、いろんな人と接してきた。つもり。
でも全然まだ自分の幅は狭いんだよな。
あーーなんか。もっとがんばりたいなぁ。何かを。
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めっちゃ懐かしい